帰りは新幹線で帰るので一路福島駅へ。しかしその道中には・・・
特別避難区域の飯館村があります。家の前に黒く連なったものがあります。
雪が積もって分かりずらいですが除染した土とおもわれます。
道路沿いのうちはみんなこのようになってます。
こちらも分かりずらいですが写真中央山の手前にあるものも先ほどの黒いビニールのものです。伝わりずらいですが莫大な数です。
地元t丘村にもあるホームセンター。
もちろん飯館村もゴーストタウン。
こんな風景。津波の被害はなかったけどここには住めません。
こちらは除染し終わってるんだろうけど。
雪が心配でしたがなんとか福島駅に行けそうです。
何とか福島駅に着きました。でかい駅です。リニアの駅もこんな風になるのかな?
研修旅行 その5
研修旅行 その4
ゆりあげ地区を後にして次は南相馬市へと。
南相馬市は福島第一原発から半径20kmが半分かかっているところです。
こちらは20km圏内の様子です。震災当時は避難区域で立ち入りができませんでしたが今は日中は作業してもいいそうですが、よるは圏外に出るようになってるそうです。
写真では分かりずらいですがこちらも津波の被害にあってます。
そこに原発による避難。皆さん。自分のお住まいの地区がこのようになったらどうですか?。
家はあるのに人気がありません。
一軒除染するのに300万円かかるそうです。しかし、屋根が壊れているとそこから雨漏りして屋内が汚染されてるそうです。
仮に、屋根が壊れてなくて除染が終わったとしてもそこに住みますか?。野菜は作れるそうです。線量も基準値以下だそうですが、どうしますか?。
20km圏内は政府が家屋は買い上げだそうですが、20kmを少しでも離れていると買い上げではないそうです。たった少しの差で住めるか住めないかが決まってしまいます。
今も多くの方が仮設住宅で避難生活をされてます。
津波が堤防を破壊したところ。明らかに鉄線がすくないです。
基礎しかありませんし、立ち入りも制限があります。
常磐線。津波はここまで来たそうです。いまはきれいになってますが、以前は草だらけだったそうです。
小高駅。のどかそうな雰囲気。
駅の横には通学のために駐輪してある自転車。震災があって原発事故があったので着の身着のままで避難したので自転車は当時のまま。
ずっと奥が小高駅。誰一人いません。まさにゴーストタウン。
こちらに最初に駆けつけた人たちは救援隊ではなく泥棒だったそうです。
これは表現できない。簡単に言ってしまえば空しいですが、いろんな思いが重なってしまうと思います。
アットホームで住みやすそうな町のような雰囲気ですが残念です。
以前、t丘村で炊き出しのボランティアで来たときにお邪魔した南相馬市の市役所。
いまは道を挟んだ反対側に庁舎があります。
研修旅行 その3
二日目。今日は仙台から南下します。
こちらは仙台空港近くのゆりあげ地区です。河口と海岸線沿いに発展した地区です。今回の震災で家屋がほぼ全滅した地区です。言葉が出ません。
奥に見えるのが中学校です。
地元のボランティアの方が説明をしてくれました。後ろの時計は地震の発生時刻を示し
ています。
ガラス戸中ほどにある白い線が水没した線です。地面から2mです。
お話によると中学校が避難場所でしたが津波が来るとのことでここより内陸側にある小学校に避難した方は助かったそうです。
いきなり2mもの津波がいっぺんに襲ってくるから逃げ場はなかったそうですし、家自体も流されてきますから、「走って逃げれば。」と思いますがいっぺんに来ますからパニック状態になったとおもいます。
歩道橋に逃げた方は助かったんですが、その下を流れていく方は助けれなかったとも言っていました。
もちろんとっさの判断で中学校の校舎の上に逃げた方は助かったんですが、そうでない方は津波にのまれたそうです。
中学校から海近くに移動して昔に作ったといわれる津波避難所の小山。ゆりあげ地区は平らなので人工の高台をつくったそうです。
が、今回の震災ではこの高台の上に近所のお宅の屋根が乗り上げてたそうです。ということは15mほどの津波がいっせいに来たことになります。
人工の山ですが結構な高さです。
ボランティアの方。細かく説明をしてくださいました。ゆりあげ地区はとても住みやすいところだったそうです。
ご覧のとおりです。
山の上からの写真。360度こんな感じです。家の基礎だけが残り空しさ感が漂います。
すぐ近くには震災の碑があり、オブジェのてっぺんが津波の高さです。海の近くだったので中学校よりはるかに高いです。
具体的な高さは忘れましたが、15mぐらいだったと思います。
研修旅行 その2
ここからは辛すぎます。しかし、みなさんにも知っていただきたいので是非ご覧ください。
こちらは石巻市の大川小学校。全校生徒およそ110人ほどの規模で80人ほどの児童が津波でお亡くなりになりました。
上の写真の右側。法面の左奥の森に児童がシイタケ栽培をしていてところがあり小さな子供でも登れたそうです。
上の写真の反対側。橋のところまでおよそ100m、さっきのしいたけの山も100mほど。
橋は堤防の高さにあるので撮影場所より5mほど高いだけです。しいたけ山はもっと高く登れます。
震災時、雪のちらつく校庭で40分ほど避難していて校庭より高いからという理由で橋のところに避難してしまったのです。ちょうどそのとき津波が来て児童たちをのみこんで行ったそうです。
もちろん先生の指導を聞かずに山に逃げた子もいたそうで、その児童は紙一重で助かったそうです。
ご両親の方々は当然山に逃げたと思っていたところ、このことを聞かされました。
なぜ、なぜ・・・。そればかりです。
いまも裁判中だそうです。
校舎は二階建てでしたが堤防も高く、また民家もあったので川の様子がわからなかったそうです。
また、大昔の津波のさいは大川地区は津波がなかったという言い伝えも災いしたようです。
ご冥福をお祈りしますという言葉だけでは済まされない気持ちでいっぱいです。
研修旅行 その1
毎年恒例のSYMS研修旅行に参加してきました。
今回は東日本大震災の災害地の視察です。
小牧空港。FDAで行くんだ。
みどりの飛行機で行きます。
一時間程で岩手花巻空港に到着しました。このとき岩手県では暴風警報が出ており、着陸できなかったら仙台空港か引き返すみたいだったけどなんとか着陸できてよかったです。
こちらは石巻駅前。ほんとは復興商店街で昼食のはずが去年いっぱいでお店をやめてしまったみたいなので急遽料亭にて昼食をしました。
料亭の女将さんにお話を聞いたらここは2mほど浸水して数日間水が引かなかったそうです。信じられません。
街のあちこちにサイボーグの像があります。小さいのはゼロゼロ赤ちゃんだったかな?
これがゼロゼロ・・・9だったかな?
こちらが復興ふれあい商店街です。駐車場だったところをお借りしてお店を出店してます。
実は海側は地震と津波とでお店が壊れてしまいましたが、内陸にいくと被害の少ないところもあり、片方は被害を受けて何もなし、もう片方は現状のまま。理不尽に思いますがそれも現実です。
あっ!。V3だ!。なんかうらやましく思います。後ろのピンクの建物はショッピングモールをお借りした石巻市役所です。
なんか石巻っていいとこだね。あちらにあるのは石巻駅。あっちに行ってみましょう。
なんかi田駅とかi田駅もこんな風になったら楽しいのになー。
あれ!?。ロボコンもそうなんだ。
写真右側にお土産やさんがあってちょっと買ってきました。なかでも うにちゃずけ は予想以上においしかったです。
あと、震災の前と後の写真集が置いてあり見てると辛くなってきました。
50周年記念式典
i田市にボーイスカウトが発足して50年となり、記念式典をi田市人形劇ホールにてかいさいしました。
えらい方々はステージにいます。右側のスーツ姿の方の中に自分が子供の頃に指導していただいた方々や見たことのあるかたもいました。
50年も受け継がれて来てご縁があって、自分もこの式典に参加してるのも不思議だなとおもいます。
ちなみに外はどしゃぶりです。さすがは雨男。誰かな?
記念旗かな?
団委員長。
地元でも有名な方。立ち上げ当時のお話を聞くとまだまだがんばらねばとおもいます。
式典後、文化会館にて軽食懇談会。
前団委員長さん。
この後だったと思いますがイヤサカをして終了しました。
時間がたちすぎてるのと開催時仕事が忙しくてなにやったか忘れてしまってます。
どぶ汁
当HPファンの方、大変長らくお待たせしました。何かと忙しくさせてもらっております。
しかし、ネタは溜めてますよ。
では。
昨年の11月某土曜日、上郷ベースにてm沢さんプロデュースのVSリーダー親睦会をしました。
少し早めについたんですが、すでに準備万端整っていました。
左の鍋がどぶ汁。いわゆるあんこう鍋です。
漁師のまかないだったそうで水を使わなくてもよいとされる鍋です。
実際はお酒少々をお水をコップ一杯ほど入れました。あとお味噌も。
アンコウは上品でやさしい味でした。
右の鍋は湯豆腐です。こちらは昆布のみで味付けしたそうですが、すごくおいしいゆどうふでした。
あと、右端に半分ほど写っているのが味噌煮込み田楽。これもとってもおいしかったです。
私も何かしなくてはと思い生BEERを用意させていただきました。よろこんでくれたらいいんですけど。
でもって、寝袋でねました。